我らが王にも困ったものだ。
 それは他宮の王仕えの竜人たちから、頻繁に聞かされていた言葉だ。
 まさかそれを、自分で言いたくなる日がくるとはな。

「イグニ様、今日の執務は……」

 そう言いながら振り返ると、イグニ様は執務室の扉を背にした状態で、膝から崩れ落ちていた。
 本来なら大事だが、俺はイグニ様とは王になって間もない頃からの長い付き合いだ……だから、どうせしょうもない理由なんじゃないかと、早々に察してしまう。

「……どうしたんですか」

 口から魂でも出てるんじゃないかと思うような、屍状態のイグニ様に問いかけると、少しの間の後に絞り出すように一言を発した。

「……カナデに大嫌いだと言われた」
「は?」

 思わず素で聞き返してしまったが、まあそれは置いておこう。
 ひとまずこの絶望状態の理由は分かったが、それでもイグニ様の言っている事はおかしい。
 ついさっきまで、イグニ様はカナデ様と一緒に朝食をとっていたが、そんな大事件は起きていないのだ。

 これはもしや、カナデ様の言った別の言葉を、イグニ様が聞き間違えたのではないだろうか。
 そう思って、今朝カナデ様とお会いした時から今まで、何を話していたかを思い出してみたのだが……。

「おはようございます、イグニ様、ロド」
「今日は天気が良くてよかったですね」
「このホットサンド、美味しい……!」
「午前中は菜園の手入れをするつもりです」
「お仕事頑張ってくださいね」

 ……どこに大嫌いなんて言葉があった? 聞き間違えそうな単語も見当たらない。
 後は相槌を打っていたくらいだし、カナデ様がそんな事を言ったという痕跡が全く無いんだが。
 もしかしたら、昨日の夜に二人で会っていたとか……いや、そんな事があったにしては、カナデ様の様子がいつも通りすぎる。

「イグニ様、いつそう言われたんです?」
「……昨日見た夢の中だ……」
「夢かよ!!」

 再び素でツッコんでしまったが、これも置いておこう。
 イグニ様が大嫌いと言われたのは夢の中、つまり現実のカナデ様は、そんな事を一言も言っていなかったのだ。

「はあぁあぁぁぁ……イグニ様、夢の中の出来事を引きずらないでくださいよ。ただの夢だったんでしょ? 現実のカナデ様は、そんな事を一言も言っていないじゃないですか」
「夢だと分かっていても……辛いものは辛い」

 そう呟いて、分かりやすくしょげているイグニ様だが……気持ちが分からないわけではない。
 しかし、馬鹿真面目で無趣味で、堅物という言葉がぴったりなイグニ様が、ここまで腑抜けてしまうとは。
 分かってはいたが、やはり番という存在は、竜人にとっては何よりも大きいものだ。

「……イグニ様の番様が、カナデ様でよかった」

 一向に立ち直る気配のないイグニ様に聞こえないように、こっそりと呟く。
 俺たちのような竜王様の側仕えが一番心配していたのは、長である竜王様の番様となる方の性格や立場だ。

 このロンザバルエは、全ての国に対して中立的な立場を守ってきた。
 だが、竜王様の番様がどこかの国の王族あるいは貴族で、自国を優位にするように竜王様を唆すような人間だったら、多くの意味で厄介となる。
 頭では止めるべきと分かっていても、泣き落とされたり怒りをあらわにされたら、イグニ様でも止めるのを躊躇する可能性が高い。
 なんせ、夢の中の出来事をここまで引きずっているのだ。現実で起こったのなら相当だろう。
 俺やアルバを始めとする火竜が苦言しても、番様の命でクビにされたら、それでおしまいなわけだし。

 番様が散財しまくるような者や、その立場に胡坐をかいて横暴な態度をとる者でも困りはするが、出身が一般市民であるならまだマシだ。
 番問題は竜人に限った事ではないし、内容も大から小まで様々だが、それが国家間の問題になる事が一番まずい。
 世界を統べる竜王様の番様というその立場は、一般の竜人の番以上に大きな規模での影響があるからだ。
 過去に、ウォルカ様を迎える時にもその問題が上がった……ウォルカ様の周囲があまりにもクズ揃いだったから、結局は杞憂で済んだのだが、そうでなければ起こりうる事態ではあったのだ。

 だが、イグニ様の番様がカナデ様であったからこそ、夢だなんだという程度の問題で済んでいるわけで。
 この長は、自分がカナデ様の優しさと良識的な考え方、元旅人というしがらみのない立場に、かなり救われていることを自覚しているんだろうか。

「いつまでもしょげてないで、さっさと仕事にかかってください」
「……やる気が出ない」
「じゃあ、午後はカナデ様とご一緒できませんけど、いいんですね?」
「……むぅ……」

 俺の一言に、イグニ様は渋々立ち上がり机に向かう……が、筆の進みはものすごく遅い。
 結局、昼食の時間になっても終わらなかったので、午後に持ち越すことになった。
 しかも、いつまでも夢の事を引きずっているせいで、カナデ様やアルバにまで余計な気を遣わせてしまっているし。

 カナデ様が、午後からプールに行ってみたいと話していたので、本気半分冗談半分で「この長、プールに突き落としていいですよ」と言っておいた。
 昼食後にカナデ様は、執務室に戻るイグニ様を笑顔で見送っていたけれど、どこか少し寂しそうにも見える。
 いつまでも夢なんかにかまけていないで、本当のカナデ様とちゃんと向き合えばいいのに。
 目を覚ますとか頭を冷やす、とかの意味で、本当にプールに突き落としてやろうかと思った。


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