その日の厨房は、激重の空気だった。

「……はぁあぁぁ……」
「……あの、料理長。今日のスープは……」
「……オニオンコンソメ、ベーコンとクルトン入り……ニンジンと玉ねぎは一口大……」
「……分かりました」

 激重い空気を纏いつつも、仕事はしなければならないので、部下に指示を出す。
 いくらショックな事があったといっても、私が仕事を放棄したら、イグニ様とカナデ様だけでなく、宮で働く竜人たちの食事までおあずけになってしまうからな。
 私がこんな事になっているのは、まさかの偶然で出会うことが出来た、私の番……アカツキ様が関係していた。

 火竜の王であるイグニ様の番様である、カナデ様。
 そのカナデ様のお父上として、宮に招かれたのがアカツキ様……彼こそが、私の運命の番であったのだ。
 番と初めて顔を合わせた時の、言葉では表せない高揚感……その激情の勢いそのままに告白しようとしてしまったが、カナデ様に止められて、思い止まった。
 カナデ様の仰るとおり、ロンザバルエに来て間もない上に、恋愛の事で一悶着あったというアカツキ様に対して、私の配慮が足りなかったと反省する。
 そして、カナデ様から頂いたアドバイスどおり、飛び切り腕を振るった料理を作り、アカツキ様に食べてもらうという日々が続いた。

 美味しそうに食べる姿、カナデ様に微笑みかける笑顔、緩やかながらも上品な仕草。
 しかし人目のない客室では、お腹を出して眠っている事もある。
 そのギャップがとても良いけれど、無防備すぎるのは少々心配だ。
 そうして少しづつ距離を詰めていき、落ち着いた頃に、貴方が私の番であるという話をしようと思っていたのだが。

「……ロージェン、すまん」

 厨房に入るなり、いきなり謝ってきたのは、見回りの任についている火竜兵の二人だ。
 なんでも、私がアカツキ様の前で挙動不審気味だった事を、不思議に思ったアカツキ様から尋ねられたらしく、話の流れで番である事をポロッと言ってしまったのだとか……。
 ……うん、正直、ふざけんなと思った。
 だが、彼らに悪意があったわけではなく、本当にうっかり口から出てしまったのだと分かったから、私も怒るに怒れなかった。
 それでも腹の虫が収まるわけではないから、彼らの昼食の肉は没収しておこう。

 ……本当は、自分の口からきちんと伝えたかった。
 いつか私たちの距離が縮まった頃、美しい景色の見える場所で花束と指輪を差し出しながら、私と一緒になってくださいとプロポーズしたかった。
 その為に、今のうちから準備を始めようと考えていたのだ。
 プロポーズに良い場所はどこか、どんな花が好きだろうか、指輪のサイズは……など、リサーチを始めるところだったのに。

「……はぁ……」
「……あの、料理長。今日のデザートは……」
「……リンゴとオレンジのソルベが冷やしてある……」
「……分かりました」

 落ち込みつつも手は動かさなければならないので、今日のメインであるポークピカタを手早く焼いていく。
 そして一通り作り終え、イグニ様達の待つ食堂へ出来立てを運んでいく途中、アカツキ様の姿が見えた。
 アカツキ様は、宮に来て数日はイグニ様達と共に食事をしていたが、イグニ様とカナデ様の邪魔をしては悪いと、途中から厨房の近くの部屋で食事をするようになったのだ。
 しかもそこは、滅多に使われる事のない、来客の使用人用の控室。
 さすがにそんな所では失礼だから、部屋まで運ぶと言ったのだが、本人は気にしていない様子……むしろ、厨房の隣だから楽でいいと思っているくらいだ。

 イグニ様達の料理を運び終えて退室し、例の部屋へ向かうと、アカツキ様が美味しそうに私の料理を食べていた。
 そして私に気付くと、人懐っこさを感じる笑顔で笑いかけてくれる……なんだ、この破壊力は。
 イグニ様が、カナデ様の事でなにかあった時に、語彙力が行方不明になっている事が時々あるが、今ならその気持ちがものすごく分かる。これはマジヤバい。

「えーと、ロージェンさん?」

 うっかりイグニ様状態になりかけていたところ、アカツキ様に話しかけられて我に返る。
 というか名前を呼んでくれた!! 超嬉しい!!

「な、なんでしょうか?」
「貴方がこの宮の料理長なんですよね? いつも美味しい料理をありがとうございます」
「い、いえ、そんな……し、仕事ですし……」

 穏やかに笑うアカツキ様を、直視できない。私には眩しすぎる。

「それで……私が貴方の番であると聞いたのですが」
「ふぇ!? は、はひ、そうれす……」

 噛んだ上に、情けない声で肯定するなんて、恥ずかしい。
 こんな使用人室ではなく、もっとちゃんと、プロポーズに相応しい場所でと思っていたのに……うぅ……。

「申し訳ないのですが、私は人族なので、番の感覚というものがよく分かりません。なので、失礼かもしれませんが……具体的な事を教えて頂けると、助かります」
「ぐ、具体的、ですか?」
「ええ、番というのは、人族で言うとどのような間柄で、どんな事をするものでしょうか?」

 アカツキ様は、番という存在は知っていても、詳しい事までは分からないのだろう。
 よし、落ち着け私。これはチャンスだ。ここはスマートに、紳士的に……!!

「……お、おしどり夫婦で、夜も毎日繋がりたいものです!!」

 ………………私のバカーーーーーー!!!!!!
 いきなりそんな事を言われたら、ドン引きされるに決まっている!!
 おしどり夫婦はまだいいけど、夜も繋がりたいって!! しかも毎日って!! どれだけ飢えてんねん!!

「……なるほど? ではロージェンさんも、私とそういう事をしたいのですか?」
「へっ!? あっ、っと、その、いえ、し、したい気持ちはものすごくありますけれど!! まずはちゃんと仲を深めて、胃袋を掴んでから……!」

 ……ああもう、また余計な事を言って!!
 もう私、しゃべらない方がいいんじゃないかってくらい、失言を繰り返している……うぅ……。

「……では私は、貴方に胃袋を掴まれてしまうというわけですか」
「あ……えっと、その……うぅ……」
「ふふ、ロージェンさんは面白い方ですね」

 私の失言と本気度が、どこまで伝わったのかは分からない。
 でも、少し困ったように柔らかく笑うアカツキ様に、見惚れていた私が居たのは、紛れもない事実。



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